以前も記事にしましたが、昨年の夏、母の看病から看取るまでの間、実家を行き来している時に一台のカメラを買いました。
ミノルタAL‐Fという古いレンジファインダーカメラです。
基本的によく写るカメラではあるのですが、開放値f2.7でシャッター優先AEという仕様は、同時代のレンジファインダーとしてはごく標準的なスペックで、ボディもそれ程コンパクトというわけではありません。
似たようなスペックですと、よりコンパクトなコニカC35 がありますし、ボディサイズが同程度ならば、レンズがf1.7と明るく写りのいいハイマチックEがあります。
つまり悪いカメラではないけれど、際立っていいところがあるわけでもない中途半端なカメラと言えなくもありません。
たまたま手持ちのカメラが無かった時に、実家の近くの中古カメラ店で、すこぶる程度のいい個体が3000円で売られていたので購入したわけですが、これが普通に名古屋のカメラ屋で見つけたとしたら、恐らくちょっと迷った末に買わなかったんじゃないかと想像します。
しかしこのカメラは、僕と母との最期の時間を共有したカメラという多少感傷をともなった思い入れがあることもまた確かです。
ほとんど口を利くこともままならなかった最後の日々ですが、弟と交代で仕事を休み、家事を分担し、可能な限り病院へ足を運んだあの夏の日々を記録したのがこのカメラであることを考えると、ただスペックだけでは語れないものもあるわけですね。
そんなわけで、普段ほとんど持ち出すことのないカメラですが、この度母の一周忌で帰省する際は、これも何かの縁だろうと持って帰りました。
今回は納骨も兼ねていましたので墓地での法要となったのですが、位牌を忘れたり、火葬許可証が見当たらなかったりともうグダグダな展開で、さぞかし母は天上で嘆いていたと思うのですが、まぁそれも我々兄弟らしいと諦めてもらうしかありません(笑)。
納骨を終え、叔母や従兄弟と寿司を食べ、この日はお開きとなりました。
一年振りに帰る実家は、弟の一人暮らしとなり、少しづつ弟の色に染まりつつあります。
しかしここは僕が19歳まで育った家であることに違いはなく、また母が数十年に渡って暮らしてきた濃密な気配があります。
この帰省だけでは24枚撮りのフィルム(フジ業務用100)を消費し切れず、結局名古屋に帰ってきてから撮り歩きして、ようやく現像に出すことが出来ました。
次使うのはいつになるか分かりません。
恐らく母の三回忌の時に持ち出すくらいでしょう。
ただ、「そうそう持ち出さないけど、決して手放すことのないカメラ」それがこのミノルタAL-Fのポジションなんじゃないかと思います。
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